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2024年2月15日の投稿1件]

井上ひさし「ナイン」#読了 し、今村夏子「木になった亜沙」を読み始めました。

井上ひさしを読むきっかけになった「握手」はやはり良い作品だったが、短篇集全体としては、悪い意味でいかにも昭和的な価値観が随所に滲み出ている。
それだけなら作品の価値を損なう欠陥にはなり得ないはずなのだが、昭和的な規範の内部においてのみ容認されていたであろう、誰かが耐え忍ぶことで成立していたハリボテの平和を作品の中心に持ってきて「ちょっと良い話」風に仕立てているのが鼻についてしまう。少なくとも私個人には、人間模様の表層しか描けていないという印象だった話が幾つか。
今は令和だが、昭和はまだ近すぎるのかもしれない。と、ひとまずは言っておくものの、今より時代が遠ざかったときに改めて普遍性を獲得するだけの力を備えた作品集とも思われない。

意味や用法を確認した言い回しのメモ。

「奇貨として」
奇貨とは珍しい宝物などのこと、転じて利用すれば思わぬ利益を得られそうな機会や事柄のこと。思いがけずちょっと珍しい機会に恵まれたのでこれをまんまと利用させてもらって、という感じでしょうか。

「縹渺(ひょうびょう)とした」
広く果てしない様、かすかではっきりしない様。

#語彙・表現

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