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2025年6月26日の投稿1件]

朝めざめて、凄まじい孤独感に吐き気がこみあげてくる。
私はひとりだ、何もかも終わる……。
横を見ると我が子である赤ん坊が、その向こうに赤子の祖母である私の母が眠っている。
あまりにも大切な二人の寝顔からは目をそらし、天井をぼんやり眺めながら思い出していた。
数年前の夏の朝、今と同じように孤独なめざめの中(そのとき私は本当にひとりだった)深い穴へ落ちてゆくような感覚に襲われ、体を起こして書き綴った。

──死のう、猫が死んだら。両親が死んだら。貯金を姉に譲って一日も早く死のう。

(私には大切な妹もあって、ここに書いていないのは彼女が自分より先に死ぬことなどあるはずもないと思っていたのと、姉が当時苦境にあり、私の貯めた金や持ち物を売って得た金を渡すことでそこから抜け出す足がかりにできるのではと思ったためだ。なお、金銭的な援助について言えば、生き続けるつもりでもできることであったのに、結局当時私はそうしなかった。姉は自分の力で苦境を脱した。言い訳をすると、私が死んで遺した金でもなければ彼女を失意の中から奮起させることはできないという感覚はあったかもしれない。しかし、それでも結局─やりようはあったのだ。意思がなかっただけだろう)

脱線したが、とにかく私が今日自分のために書き留めておきたいことは次のとおりだ。
私は大きな間違いを犯したかもしれない。そのためにひどい後悔の中で今苦しんでいるのかもしれない。だがそれは自分が、よりよい明日を求めてあがいた先にあったものだということを忘れてはならない。現段階で、おまえは間違っていないのだ。それは最期までわからないことだから。

死ぬときに何を思いたいかということをこの頃よく考える。
善く生きたか、あるいは能く生きたか? 何を遺した?  悔やむことは?
それらはおそらく、結局のところひとつの問いに収斂するのだ。
生き尽くしたか?
つまり私は今日も、人生最期の日の問いの前に立たされているというわけだ。
そうはいっても全力疾走を続けることなど土台無理、悪路であるから杖をついてもよし。
死ぬときにはどうせひとりだから、この激しい孤独感と恐怖が鎮まっていればいいと思う。

呟き