No.126, No.125, No.124, No.123, No.122, No.121, No.120[7件]
重い腰を上げて、溜まった書類や郵便物など紙類の整理をしている。
いわゆる「断捨離」を20代の終わり頃から続けてきて、今の家に越してくる時は雑貨、日用品、食品類まで含めて段ボール15箱で済んだのだが(うち小さい段ボール5箱分が書籍だった)やはり暮らしていると贅肉はつくもので。
結局いくら減らしても、手持ちのモノのうち日頃から用があるのはせいぜい3割だなと思う。残り7割もまあ、用ができたときにそこにあってほしいから持っているわけではあるのだが、用ができる頻度と手放した場合の再入手性が問題になるのだろう。
いわゆる「断捨離」を20代の終わり頃から続けてきて、今の家に越してくる時は雑貨、日用品、食品類まで含めて段ボール15箱で済んだのだが(うち小さい段ボール5箱分が書籍だった)やはり暮らしていると贅肉はつくもので。
結局いくら減らしても、手持ちのモノのうち日頃から用があるのはせいぜい3割だなと思う。残り7割もまあ、用ができたときにそこにあってほしいから持っているわけではあるのだが、用ができる頻度と手放した場合の再入手性が問題になるのだろう。
買い物に行き、トムヤムクンスープを作った。蝉が本気を出し始めている。ヒグラシまで鳴いていて、少し早いんじゃないかと思った。
近畿地方にも梅雨明け宣言。平年より二日ほど遅いが、梅雨入りが遅かったため通常の70%程度と短めの梅雨になったらしい。陽射しは既に容赦のない感じである。いよいよ夏、か。
久しぶりに少し遠くまで歩いて珈琲豆を買ってきた。何でもない日だが夜は鰻を食べた。丑の日、さらに二の丑というのが控えているらしいので、その辺りにかこつけてまた食べたい。
東海・関東は昨日梅雨明け。近畿もそろそろ梅雨明け宣言が出そう。今年の梅雨は短かった。
夜中、気分が悪くなって吐く。具合の悪さに対する不安や苛立ちごと吐いて、すっきりして眠る。じきに良くなるさと思っている。強い身体への憧れというのが自分の中では一番具体的で希望のある夢、と思う。
海の日。
コントロールされた浴槽の湯を除いては、自分より体積が大きい水はだいたい恐ろしく、小説を書くと、大量の水というモチーフがオブセッション的に繰り返し現れる。東日本大震災での津波は言葉の通じない暴力であり、ただただ理不尽な〈現象〉でもあった。つまり絶望がエネルギーの形をとったものだった。
海の日。
コントロールされた浴槽の湯を除いては、自分より体積が大きい水はだいたい恐ろしく、小説を書くと、大量の水というモチーフがオブセッション的に繰り返し現れる。東日本大震災での津波は言葉の通じない暴力であり、ただただ理不尽な〈現象〉でもあった。つまり絶望がエネルギーの形をとったものだった。
ということをふと思ったので書いておく。