or 管理画面へ

No.74

生きていく上での楽しみが何もない。
気を抜くとそんな言葉が頭の中で増殖する。
虚無感。
虚無感というのは文字通りの虚無の感覚──何もない虚空に漂う感覚ではない、と思う。
どちらかといえばそれは、周囲に迫る息苦しい壁、迫害と剥奪の感覚である。
薄暗く息の詰まるこの部屋に、せめて窓を開けなければならない。

多くの人が、自己犠牲と公への奉仕と感謝の心持ちの中に、光さしこむ「窓」を見出してきた。
剥奪の感覚に対抗する有効な手段は、自ら与えることだからだ。奪われることをよしとする。代わりに自分も必要なものを得る。そのようにして、己が人生の主権を回復する。

私の場合は、まだその境地にまでは行けない。虚無感の手触りがあるとき、人生に対する「被害者」でいようとする自分をまずは自覚する。

そしてこう思うことにしている。

愛する人が生きていてくれるじゃないか。
愛する猫がこちらを見つめているじゃないか。
いつか全てを喪う日がくるとしても、彼らがそこにいてくれたことは真実、この侘しい人生に射しこんだ真実の光なのだ。

これは私にとって嘘ではない。嘘ではないということ自体、奇跡のような幸運であると思う。
だから、そう思うことにしている。

呟き