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2024年2月の投稿22件]

2024年2月24日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

ヴィトルト・シャブウォフスキ「踊る熊たち」を読み始めました。
「独裁者の料理人」がとても面白かったので期待。

呟き

2024年2月23日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

原田マハ「楽園のカンヴァス」 #読了
売れに売れたアート・ミステリー。面白かった。ルソーが、間違えて描いた部分のみを描き直すことのできない不器用な性格であったというエピソードを出したあとに二枚目の「夢」の可能性を示唆するなど、話の組み立てが秀逸。

途中まで、面白いがそれだけで終わりそうな気もしていたのだが、登場人物達が「物語」を読み進めるにつれて印象的なシーンが増える。もちろんそれは実際の出来事ではないのだろうが、愚直に自身の芸術を信じた画家の生き様がこの作品に厚みをもたらしていると思った。
関係ないが、作者が原田宗典の妹ということをWikipediaで知った。

呟き

2024年2月22日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

白水uブックス「アメリカ幻想小説傑作集」収録
ヘンリー・ジェイムズ「なつかしい街かど」(志村正雄訳)より #引用
「ああ!」とブライドンはたじろいだ──彼が自分の正体であると証明されたからか、彼の指が欠けているからか。それから「彼は年収百万ドル」と明快につけ足した。「でも、彼には、きみがいない。」
「だから彼は違う──そうよ、彼は──あなたじゃない!」と彼女はささやき、彼は彼女を胸に引き寄せた。

呟き

2024年2月21日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

生きていく上での楽しみが何もない。
気を抜くとそんな言葉が頭の中で増殖する。
虚無感。
虚無感というのは文字通りの虚無の感覚──何もない虚空に漂う感覚ではない、と思う。
どちらかといえばそれは、周囲に迫る息苦しい壁、迫害と剥奪の感覚である。
薄暗く息の詰まるこの部屋に、せめて窓を開けなければならない。

多くの人が、自己犠牲と公への奉仕と感謝の心持ちの中に、光さしこむ「窓」を見出してきた。
剥奪の感覚に対抗する有効な手段は、自ら与えることだからだ。奪われることをよしとする。代わりに自分も必要なものを得る。そのようにして、己が人生の主権を回復する。

私の場合は、まだその境地にまでは行けない。虚無感の手触りがあるとき、人生に対する「被害者」でいようとする自分をまずは自覚する。

そしてこう思うことにしている。

愛する人が生きていてくれるじゃないか。
愛する猫がこちらを見つめているじゃないか。
いつか全てを喪う日がくるとしても、彼らがそこにいてくれたことは真実、この侘しい人生に射しこんだ真実の光なのだ。

これは私にとって嘘ではない。嘘ではないということ自体、奇跡のような幸運であると思う。
だから、そう思うことにしている。

呟き

2024年2月20日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

白水uブックス「アメリカ幻想小説傑作集」収録
ナサニエル・ホーソーン「若いグッドマン・ブラウン」(志村正雄訳)より #引用
『お互いの心を頼って、きみたちはいまも美徳がすべて絵そらごとなわけではないと思っていた。今度こそ夢が覚めただろう。悪こそ人間の性なのだ。悪こそ、きみたちの唯一の幸福なのだ。もう一度言おう、よく来た、わが子たちよ、きみたちの仲間の交わりに』

呟き

2024年2月17日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

今村夏子「木になった亜沙」#読了 し、エルフリーデ・イェリネク「ピアニスト」、白水uブックスより志村正雄編「アメリカ幻想小説傑作集」を読み始めました。

志村正雄訳
アメリカ大陸の発見(ワシントン・アーヴィング)
妖精の島(エドガー・アラン・ポー)
若いグッドマン・ブラウン(ナサニエル・ホーソーン)
なつかしい街かど(ヘンリー・ジェイムズ)
夜の海の旅(ジョン・バース)
父の泣いている風景 (ドナルド・バーセルミ)

河野一郎訳
亡き妻フィービー(セオドア・ドライサー)
ひそかな雪、ひめやかな雪(コンラッド・エイケン)
ミリアム(トルーマン・カポーティ)

八木敏雄訳
私ではない(ポール・ボールズ)

呟き

2024年2月16日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

学生時代、Wordに日記を書いていました。毎日というわけではなく、少し書いて間が空き、また久しぶりにファイルをひらいてキーボードを叩き始めると綴りたいことが次々に溢れ出して我ながら驚く。その繰り返しで、ときには半年以上も空いたあれを日記とは呼ばないのかもしれません。

大学三年くらいのころから、それまで予定を書くだけだったスケジュール帳に日記を書くスペースが加わり、食べたもの読んだ本などを記録している時期が見られます。こういうのはあとから読んで意外と面白くない。
かと思えば懐かしい固有名詞が出てきて、さらりとしたその登場の仕方に胸をつかれることもあります。住んでいる部屋で撮った写真をあとで見たとき、写したかった珍しい何かより、背景になにげなく映り込んでいる別の何かのほうに心を掴まれることがあるように。当時それはあたりまえに存在していて、撮るほどのこともなかった。その事実こそが、時を超えて胸を締めつけるのです。

何かを敢えて記録することは何かを捨て去ることであり、難しいものだと思います。私には2011年7月頃から長期にわたる手帳の空白が何よりも雄弁な記憶であります。回復に向かう世の中の流れとは裏腹に力尽きていった、私の中の「日常」の沈黙です。

呟き

2024年2月15日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

井上ひさし「ナイン」#読了 し、今村夏子「木になった亜沙」を読み始めました。

井上ひさしを読むきっかけになった「握手」はやはり良い作品だったが、短篇集全体としては、悪い意味でいかにも昭和的な価値観が随所に滲み出ている。
それだけなら作品の価値を損なう欠陥にはなり得ないはずなのだが、昭和的な規範の内部においてのみ容認されていたであろう、誰かが耐え忍ぶことで成立していたハリボテの平和を作品の中心に持ってきて「ちょっと良い話」風に仕立てているのが鼻についてしまう。少なくとも私個人には、人間模様の表層しか描けていないという印象だった話が幾つか。
今は令和だが、昭和はまだ近すぎるのかもしれない。と、ひとまずは言っておくものの、今より時代が遠ざかったときに改めて普遍性を獲得するだけの力を備えた作品集とも思われない。

意味や用法を確認した言い回しのメモ。

「奇貨として」
奇貨とは珍しい宝物などのこと、転じて利用すれば思わぬ利益を得られそうな機会や事柄のこと。思いがけずちょっと珍しい機会に恵まれたのでこれをまんまと利用させてもらって、という感じでしょうか。

「縹渺(ひょうびょう)とした」
広く果てしない様、かすかではっきりしない様。

#語彙・表現

呟き

2024年2月14日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

アガサ・クリスティ“Death on the Nile”を原作とする映画「ナイル殺人事件」を観ました。
同じ映像化シリーズの「オリエント急行殺人事件」も鑑賞済みで、第三作の「ベネチアの亡霊」が2023年に公開されているので機会があれば観るつもり。

日記

2024年2月13日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

眼科に行きました。あまり体調がよくない。
もし目が見えなくなったら今とは全然違う形で読書を楽しむことになるのだろうなと思う。

日記