No.154, No.150, No.145, No.144, No.143, No.142, No.138[7件]
このところ「コトアム」というSNSをゆるく楽しんでいます。
詩や短歌、俳句、日記にエッセイ、ちょっとした呟きなど、人々が紙片一枚に寄せる言葉をひらひら集めて束ねて、自由にプレイリストを作成。
テーマ設定と作品選定で(というほど堅苦しくもないのがいいところ)自分の「好き」の多様性が紐解かれていくような感覚があります。
暫くは読む専になろうと思っていたのだけれど、投稿が簡単なのでついつい思いついた短歌などをぽろぽろと。
眠気覚ましに飲んだ冷たいコーヒーで腹を下して夕方の鐘
よる九時のマクドナルドで四枚おろしのエグチつまみつつ「いいね」
おさなごのほふく前進めざすものがスリッパとかの今が愛しい
落とした錠剤が床で音立てているあいだに見つけられなかった
十四年前の日記のあまってるとこに小さくごめんねと書く
#短歌
詩や短歌、俳句、日記にエッセイ、ちょっとした呟きなど、人々が紙片一枚に寄せる言葉をひらひら集めて束ねて、自由にプレイリストを作成。
テーマ設定と作品選定で(というほど堅苦しくもないのがいいところ)自分の「好き」の多様性が紐解かれていくような感覚があります。
暫くは読む専になろうと思っていたのだけれど、投稿が簡単なのでついつい思いついた短歌などをぽろぽろと。
眠気覚ましに飲んだ冷たいコーヒーで腹を下して夕方の鐘
よる九時のマクドナルドで四枚おろしのエグチつまみつつ「いいね」
おさなごのほふく前進めざすものがスリッパとかの今が愛しい
落とした錠剤が床で音立てているあいだに見つけられなかった
十四年前の日記のあまってるとこに小さくごめんねと書く
#短歌
雨模様と妙にはしゃいだ暑さのあいだを行き来するうちに音もなく梅雨入り。
実家の庭の紫陽花が今年も綺麗に咲いた。
この紫陽花はね、と母が語るのを何度聞いただろう。ずっと前の母の日に、あなたがお小遣いで買ってきてくれた小さな株を置いておいたらね。植木鉢の底を突き破って、庭に根を張って、こんなに大きくなっちゃったんだよ、すごいよね。
昨秋に子供が生まれて(と書くのは卑怯に感じるくらい、それは私が産んだのだが)数日間NICUに入っていたのだけれど今は幸いすくすくと育ってくれている。
声を立てて笑う。はいはいをする、歌っているつもりで私の歌に合わせて声を出す、猫の尾に手を伸ばす(猫は逃げる)。
よくも悪くも、自分の命の意味が変わってしまったと思う。
「子は鎹」であるかはさておき、ふわふわ浮いていた自分の存在に打ちこまれた楔、ではある。死ねない。
死ねなくなって迎える初めての誕生月、庭の紫陽花が、地上から空へ降る雨のように咲く。強く強く土に張った根から吸い上げた雨水が、光となって天へ還ってゆく。
実家の庭の紫陽花が今年も綺麗に咲いた。
この紫陽花はね、と母が語るのを何度聞いただろう。ずっと前の母の日に、あなたがお小遣いで買ってきてくれた小さな株を置いておいたらね。植木鉢の底を突き破って、庭に根を張って、こんなに大きくなっちゃったんだよ、すごいよね。
昨秋に子供が生まれて(と書くのは卑怯に感じるくらい、それは私が産んだのだが)数日間NICUに入っていたのだけれど今は幸いすくすくと育ってくれている。
声を立てて笑う。はいはいをする、歌っているつもりで私の歌に合わせて声を出す、猫の尾に手を伸ばす(猫は逃げる)。
よくも悪くも、自分の命の意味が変わってしまったと思う。
「子は鎹」であるかはさておき、ふわふわ浮いていた自分の存在に打ちこまれた楔、ではある。死ねない。
死ねなくなって迎える初めての誕生月、庭の紫陽花が、地上から空へ降る雨のように咲く。強く強く土に張った根から吸い上げた雨水が、光となって天へ還ってゆく。
過去の断片的な記述や詩などを、書かれた日付のとおりにパペログμへ集約しようか悩んでいましたが、 #Archive 投稿として、n年後のその日に投稿していくことにします。
#夢日記 20250605
食べ放題のコーナーがあるどこかにいる。料理を皿にたくさんとるが、デザートコーナーのケーキなどは食べ尽くされてしまっている。
私は少女または少年である。気さくな男が、目の周りに赤の、頬に青いドーランのようなものを塗っている。何をしているのか問うと、別に、とか、気にしなくていい、とかそんなようなことを言う。
男は人外の存在で、戦乱の神のようなものである。私を痛めつけた何かとの戦いに赴くつもりらしい。普段は飄々として穏やかな優男だが、今は空気をビリビリ震わせるような凄まじい怒りのオーラを感じる。私はすっかり焦って、そんなことをしなくていいと言う。戦化粧を終えた男は慈しむようなまなざしで私を見ている。
私は男をこの場に引き止めようとする。皿に盛ってきた料理を食べ始めるが味はしない。徐々に満腹感だけを感じ始める。食べきれないかもしれないな、と思う。男が見守っている。優しい空気。少し怖いと思う。男の関心が戦いではなく今ここに戻ってきたようだと私は安堵するが、男の怒りは消えていない。神の圧倒的な力が私を守るように周辺で渦を巻いている。
不意に私は男の腕に身を委ねたいような気持ちになる。男は運命のような、死神のような、戦勝の神のような、大きな存在である。それに身を委ねることには、諦めに似た心地よさがある。全てを諦めた私を二本の力強い腕が抱きとめる。この男はずっと私に執着していたのだと私は悟る。恐怖心を諦念が慰撫してゆく。
食べ放題のコーナーがあるどこかにいる。料理を皿にたくさんとるが、デザートコーナーのケーキなどは食べ尽くされてしまっている。
私は少女または少年である。気さくな男が、目の周りに赤の、頬に青いドーランのようなものを塗っている。何をしているのか問うと、別に、とか、気にしなくていい、とかそんなようなことを言う。
男は人外の存在で、戦乱の神のようなものである。私を痛めつけた何かとの戦いに赴くつもりらしい。普段は飄々として穏やかな優男だが、今は空気をビリビリ震わせるような凄まじい怒りのオーラを感じる。私はすっかり焦って、そんなことをしなくていいと言う。戦化粧を終えた男は慈しむようなまなざしで私を見ている。
私は男をこの場に引き止めようとする。皿に盛ってきた料理を食べ始めるが味はしない。徐々に満腹感だけを感じ始める。食べきれないかもしれないな、と思う。男が見守っている。優しい空気。少し怖いと思う。男の関心が戦いではなく今ここに戻ってきたようだと私は安堵するが、男の怒りは消えていない。神の圧倒的な力が私を守るように周辺で渦を巻いている。
不意に私は男の腕に身を委ねたいような気持ちになる。男は運命のような、死神のような、戦勝の神のような、大きな存在である。それに身を委ねることには、諦めに似た心地よさがある。全てを諦めた私を二本の力強い腕が抱きとめる。この男はずっと私に執着していたのだと私は悟る。恐怖心を諦念が慰撫してゆく。
2025年5月の #読了
自分のために
◆柴田元幸「つまみ食い文学食堂」
(質チョイス共に)信頼をおいているので、いわば翻訳者買いをしている柴田元幸氏。結構前に連載されていたエッセイをまとめた本ですが、取り上げられている作品を割と読んだことがあって「話についていけるぞ」感が嬉しかった。
気になった箇所を #引用
◆みっけ「知りたいこと図鑑」
フルカラーの図解でいろんな雑学をつまみ食い。カフェのあるTSUTAYAで買いました。子供が大きくなったときに「入り口」になってほしい本を選ぼうという気持ちが大きくなっていることに気づく。本などまるで読まない子かもしれないのにね(元気であってくれればいい)。
子のために
自分のために
◆柴田元幸「つまみ食い文学食堂」
(質チョイス共に)信頼をおいているので、いわば翻訳者買いをしている柴田元幸氏。結構前に連載されていたエッセイをまとめた本ですが、取り上げられている作品を割と読んだことがあって「話についていけるぞ」感が嬉しかった。
気になった箇所を #引用
不味い食事をめぐる文章には、美味い食事をめぐる文章にはない文学性がある(中略) その不味い食事が調理され食されるに至った人間のドラマに共感を寄せることは大いに可能であり、むしろそのように共感することは、人の道にかなったことだとすら言えるであろう。
(『不味い食事』の章より)
これを象徴的に読むなら、『飢ゑ』の若者は、世界の意味を見きわめようと苦闘すればするほど世界の無意味を証明してしまう一方で、「断食芸人」の芸人は、世界が無意味であることにはじめから勘づいてしまっている
(『空腹、飢え、断食』の章より)
『そうそう、そうなんです。食べ物があれば、おいしくなさそうだし、おいしそうだと食べ物はそこにない!』(巻末の対談より)
◆みっけ「知りたいこと図鑑」
フルカラーの図解でいろんな雑学をつまみ食い。カフェのあるTSUTAYAで買いました。子供が大きくなったときに「入り口」になってほしい本を選ぼうという気持ちが大きくなっていることに気づく。本などまるで読まない子かもしれないのにね(元気であってくれればいい)。
子のために
「生活は」
食パンの形をしたマグネットで冷蔵庫に貼ったスーパーのレシートから、今しがた腹の底に消えていったミルクチョコレート¥128の行を赤い水性ペンで消す。日が経つと赤色はくすんで、古い線から茶色くなっていくのだが、変に日持ちする食材が紛れこんでいると、あと一行がなかなか消えずにずっと居座ることになるから、レシートには新しい赤い線と古びた茶色い線とが無数の平行を刻んでいる。赤と茶の紙片を全身にまとい、冷蔵庫は傷ついた重装歩兵のようになりながら今日も狭い部屋に鎮座している。流しの底では一昨日の鍋の残り汁がまだ丼に満たされたままで、たくさんの小虫が溺れ死んでいるが、それは彼らが生きようとしたせいであって、わたしの生活のせいではない。