No.157, No.146, No.144, No.143, No.142, No.140, No.138[7件]
#Archive 投稿, 2021年6月25日
「書かれた最初の」
赤ん坊というその呼び名の通り真っ赤な皮膚、まだひらかない眼、母に抱かれている生まれたその日の姿が写真に残っていて、病院のベッドの枕元に貼られていた紙の実物と共にアルバムに収められている。
30年以上が過ぎて眺めるその紙には、母の名と、その子である旨と、祝福の言葉が記されている。おめでとうございます、それは私に対するものではまだなかったと思う。
言葉がわかるようになるころ、「誕生日」を意味が追いかけてきて、やがて追いぬいていった。
「書かれた最初の」
赤ん坊というその呼び名の通り真っ赤な皮膚、まだひらかない眼、母に抱かれている生まれたその日の姿が写真に残っていて、病院のベッドの枕元に貼られていた紙の実物と共にアルバムに収められている。
30年以上が過ぎて眺めるその紙には、母の名と、その子である旨と、祝福の言葉が記されている。おめでとうございます、それは私に対するものではまだなかったと思う。
言葉がわかるようになるころ、「誕生日」を意味が追いかけてきて、やがて追いぬいていった。
突発性発疹をやった子供の看病が少し落ち着き、おや腰から下がキンキンそわそわすると思ったら38.6℃の熱。
#Archive 投稿, 2018年6月17日
「生活は」
食パンの形をしたマグネットで冷蔵庫に貼ったスーパーのレシートから、今しがた腹の底に消えていったミルクチョコレート¥128の行を赤い水性ペンで消す。日が経つと赤色はくすんで、古い線から茶色くなっていくのだが、変に日持ちする食材が紛れこんでいると、あと一行がなかなか消えずにずっと居座ることになるから、レシートには新しい赤い線と古びた茶色い線とが無数の平行を刻んでいる。赤と茶の紙片を全身にまとい、冷蔵庫は傷ついた重装歩兵のようになりながら今日も狭い部屋に鎮座している。流しの底では一昨日の鍋の残り汁がまだ丼に満たされたままで、たくさんの小虫が溺れ死んでいるが、それは彼らが生きようとしたせいであって、わたしの生活のせいではない。
「生活は」
食パンの形をしたマグネットで冷蔵庫に貼ったスーパーのレシートから、今しがた腹の底に消えていったミルクチョコレート¥128の行を赤い水性ペンで消す。日が経つと赤色はくすんで、古い線から茶色くなっていくのだが、変に日持ちする食材が紛れこんでいると、あと一行がなかなか消えずにずっと居座ることになるから、レシートには新しい赤い線と古びた茶色い線とが無数の平行を刻んでいる。赤と茶の紙片を全身にまとい、冷蔵庫は傷ついた重装歩兵のようになりながら今日も狭い部屋に鎮座している。流しの底では一昨日の鍋の残り汁がまだ丼に満たされたままで、たくさんの小虫が溺れ死んでいるが、それは彼らが生きようとしたせいであって、わたしの生活のせいではない。
このところ「コトアム」というSNSをゆるく楽しんでいます。
詩や短歌、俳句、日記にエッセイ、ちょっとした呟きなど、人々が紙片一枚に寄せる言葉をひらひら集めて束ねて、自由にプレイリストを作成。
テーマ設定と作品選定で(というほど堅苦しくもないのがいいところ)自分の「好き」の多様性が紐解かれていくような感覚があります。
暫くは読む専になろうと思っていたのだけれど、投稿が簡単なのでついつい思いついた短歌などをぽろぽろと。
眠気覚ましに飲んだ冷たいコーヒーで腹を下して夕方の鐘
よる九時のマクドナルドで四枚おろしのエグチつまみつつ「いいね」
おさなごのほふく前進めざすものがスリッパとかの今が愛しい
落とした錠剤が床で音立てているあいだに見つけられなかった
十四年前の日記のあまってるとこに小さくごめんねと書く
#短歌
詩や短歌、俳句、日記にエッセイ、ちょっとした呟きなど、人々が紙片一枚に寄せる言葉をひらひら集めて束ねて、自由にプレイリストを作成。
テーマ設定と作品選定で(というほど堅苦しくもないのがいいところ)自分の「好き」の多様性が紐解かれていくような感覚があります。
暫くは読む専になろうと思っていたのだけれど、投稿が簡単なのでついつい思いついた短歌などをぽろぽろと。
眠気覚ましに飲んだ冷たいコーヒーで腹を下して夕方の鐘
よる九時のマクドナルドで四枚おろしのエグチつまみつつ「いいね」
おさなごのほふく前進めざすものがスリッパとかの今が愛しい
落とした錠剤が床で音立てているあいだに見つけられなかった
十四年前の日記のあまってるとこに小さくごめんねと書く
#短歌
雨模様と妙にはしゃいだ暑さのあいだを行き来するうちに音もなく梅雨入り。
実家の庭の紫陽花が今年も綺麗に咲いた。
この紫陽花はね、と母が語るのを何度聞いただろう。ずっと前の母の日に、あなたがお小遣いで買ってきてくれた小さな株を置いておいたらね。植木鉢の底を突き破って、庭に根を張って、こんなに大きくなっちゃったんだよ、すごいよね。
昨秋に子供が生まれて(と書くのは卑怯に感じるくらい、それは私が産んだのだが)数日間NICUに入っていたのだけれど今は幸いすくすくと育ってくれている。
声を立てて笑う。はいはいをする、歌っているつもりで私の歌に合わせて声を出す、猫の尾に手を伸ばす(猫は逃げる)。
よくも悪くも、自分の命の意味が変わってしまったと思う。
「子は鎹」であるかはさておき、ふわふわ浮いていた自分の存在に打ちこまれた楔、ではある。死ねない。
死ねなくなって迎える初めての誕生月、庭の紫陽花が、地上から空へ降る雨のように咲く。強く強く土に張った根から吸い上げた雨水が、光となって天へ還ってゆく。
実家の庭の紫陽花が今年も綺麗に咲いた。
この紫陽花はね、と母が語るのを何度聞いただろう。ずっと前の母の日に、あなたがお小遣いで買ってきてくれた小さな株を置いておいたらね。植木鉢の底を突き破って、庭に根を張って、こんなに大きくなっちゃったんだよ、すごいよね。
昨秋に子供が生まれて(と書くのは卑怯に感じるくらい、それは私が産んだのだが)数日間NICUに入っていたのだけれど今は幸いすくすくと育ってくれている。
声を立てて笑う。はいはいをする、歌っているつもりで私の歌に合わせて声を出す、猫の尾に手を伸ばす(猫は逃げる)。
よくも悪くも、自分の命の意味が変わってしまったと思う。
「子は鎹」であるかはさておき、ふわふわ浮いていた自分の存在に打ちこまれた楔、ではある。死ねない。
死ねなくなって迎える初めての誕生月、庭の紫陽花が、地上から空へ降る雨のように咲く。強く強く土に張った根から吸い上げた雨水が、光となって天へ還ってゆく。
私はひとりだ、何もかも終わる……。
横を見ると我が子である赤ん坊が、その向こうに赤子の祖母である私の母が眠っている。
あまりにも大切な二人の寝顔からは目をそらし、天井をぼんやり眺めながら思い出していた。
数年前の夏の朝、今と同じように孤独なめざめの中(そのとき私は本当にひとりだった)深い穴へ落ちてゆくような感覚に襲われ、体を起こして書き綴った。
──死のう、猫が死んだら。両親が死んだら。貯金を姉に譲って一日も早く死のう。
(私には大切な妹もあって、ここに書いていないのは彼女が自分より先に死ぬことなどあるはずもないと思っていたのと、姉が当時苦境にあり、私の貯めた金や持ち物を売って得た金を渡すことでそこから抜け出す足がかりにできるのではと思ったためだ。なお、金銭的な援助について言えば、生き続けるつもりでもできることであったのに、結局当時私はそうしなかった。姉は自分の力で苦境を脱した。言い訳をすると、私が死んで遺した金でもなければ彼女を失意の中から奮起させることはできないという感覚はあったかもしれない。しかし、それでも結局─やりようはあったのだ。意思がなかっただけだろう)
脱線したが、とにかく私が今日自分のために書き留めておきたいことは次のとおりだ。
私は大きな間違いを犯したかもしれない。そのためにひどい後悔の中で今苦しんでいるのかもしれない。だがそれは自分が、よりよい明日を求めてあがいた先にあったものだということを忘れてはならない。現段階で、おまえは間違っていないのだ。それは最期までわからないことだから。
死ぬときに何を思いたいかということをこの頃よく考える。
善く生きたか、あるいは能く生きたか? 何を遺した? 悔やむことは?
それらはおそらく、結局のところひとつの問いに収斂するのだ。
生き尽くしたか?
つまり私は今日も、人生最期の日の問いの前に立たされているというわけだ。
そうはいっても全力疾走を続けることなど土台無理、悪路であるから杖をついてもよし。
死ぬときにはどうせひとりだから、この激しい孤独感と恐怖が鎮まっていればいいと思う。