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No.89, No.88, No.57, No.56, No.55, No.54, No.537件]

薄いスケジュール帳を買いました。Google Calendarでの管理はやっぱり性に合わなかった。

#Audible で「そして誰もいなくなった」を聴き終え、「英国古典推理小説集」を聴いています。

日記

豆を撒きました。恵方巻も食べました。
この恵方巻というの、自分が子供だった頃には全然メジャーじゃなかったと思うのだが(当時は関東にいたせいもあると思う)、最近はスーパーでいろんな種類が山積みになっているので何となく買ってしまう。
一応「今年の方角」を確認し、でも椅子の向きまでは変えずにモグモグ食べて、ちょっと休憩してまた食べて、最後の方は食べ疲れてしまい、何だかひどい目にあったような気もしてくる。自分で買ってきたのに。

少し喉が痛いので寝ます。最近また寝るのが下手になってきた。

日記

アガサ・クリスティ「そして誰もいなくなった」を少しずつ #Audible で聴いてきて、ちょうど誰もいなくなったところです。
BBC One(2015)版のテレビドラマが面白かったので聴き始めたという経緯のため真犯人や動機などは知っているのだが、二周目の楽しさがあります。というか今までよく本作のネタバレを回避して生きてこられたなと思う。「オリエント急行殺人事件」は無理でしたが。

少し暖かくなったと思っていたら明日辺りからまた寒さが戻るようで。豆もまかなくてはいけない。
家に入ってこようとする“鬼”って何だろう。災いのような劇的なもの。悲しみの浸透圧のようなもの。

昨夜、入浴中にふと詩の断片が浮かんできたのだが書き留める前に溶けてなくなってしまった。

日記

振り返れば何という年明けだったろうか、個人的にも気の滅入ること続きで、祝うというよりは気を引き締める方に傾いた新年でした。
手放しでおめでとうございますとは言えないけれど、許された命を今年も生きましょう。

あっという間に2月に入ってしまった。今年は閏年なので29日がありますね。

2023年12月と2024年1月はあまり本を読みませんでした。
紙の本──
ナギーブ・マフフーズ「ミダック横丁」
:面白おかしさはいつも、奇妙な切なさと手を繋いでいる。ミダック横丁はいろんな意味で狭い場所なのだが、それでもどうしようもなく巨大な世界に取り巻かれているのでした。

カズオ・イシグロ「忘れられた巨人」
:鬼だの竜だのアーサー王の騎士だのが出てくるファンタジーで最初は戸惑ったが、良かった。これまでに読んだカズオイシグロ作品の中では「遠い山なみの光」と同じくらい好きかもしれない。原題は“The Buried Giant”、物語の比較的序盤で巨人の墓と言われている場所が出てきて、主人公たちは巨人を目覚めさせぬよう気をつけて歩く。タイトルにもなっている巨人への言及はそこだけなのですが、土の下に眠る巨人の大いなる沈黙、その恐ろしさと寂寥感とを読了後にひしひしと感じた。忘却の功罪。

コルタサル「八面体」
:「夏」「シルビア」が良かった。「対岸」に続いて短編小説論「短編小説とその周辺」も収録。コルタサルは本当に短編小説を愛していたんですね。

電子書籍──
ヘミングウェイ「老人と海」
prime readingに光文社古典新訳文庫版があったので読む。小川高義訳。大昔に読んだのは新潮文庫の福田恆存訳のはず。新潮文庫では新訳も出ていますね。
なお角川文庫でも新たに越前敏弥訳が出たばかり。サンチャゴが可愛がっている例の“the boy”について、どれくらいの年齢の人物なのか実は解釈が割れており、昔から議論されてきたということが光文社古典新訳文庫の訳者解説に書かれていたのですが、角川文庫の新訳はこれを少年でなく青年として翻訳した「新解釈版」なのだそうです。

太宰治「パンドラの匣」「十二月八日」
どんどん読むぞと思いつつも全然読めない文豪作品。青空文庫の本はKindle本形式になっているものが多くてありがたいです。

以上が #読了

オーディオブック(#Audible)──
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」
延々と続く証言。あらゆる面においてフェアであろうとする著者の姿勢を随所に感じながらも、本作ばかりを聴き続けるのはなかなかに堪え、中断し他をあれこれかじっては戻るような形でやっと3分の2ばかり聴いたかと。

番外編──
人に紹介してもらって井上ひさし「握手」(『ナイン』収録)を読んだらとてもよかったので他も読みたいと思った。中学校の国語の教科書に(何度か?)掲載されているようなのだが、全然記憶にない。載ってなかったのかな。読書好きには多いと思いますが、国語の教科書は配られたらすぐ隅々まで読んでしまう子供でした。

日記

目が覚めたら枕元に赤い袋があり、その隣に飼い猫が気難しい顔をして座っていた。
クリスマスの朝にプレゼントが置いてあるなんて何年ぶりだろう、子供時代以来かもしれない。

エンデの「はてしない物語」が枕元にあった朝を思い出しました。何だか涙のようなものがすっと胸の奥から広がってくるのを感じたが、猫の顔が面白くて笑ってしまった。

日記

車窓から #詩

あおい光が夜の奥をよぎる

ひとつ

息をする間に

またひとつ

かつて私を呼びとめたもの

朝に枯れる花のように

早くも希望の残り香を立てている

夜に属する光

人工の。


今でも私は

どうしようもなく置いてくる

ガラスを曇らす雨滴と

もはや見分けのつかぬひと雫を

闇の彼方にまたたく

踏切のあおい光のもとへ

断片

眠り #詩

太陽光発電のパネルと

キャベツ畑で大地を覆って

わたくしたちは眠りにつきます

暗く涼しい土の中で

目を閉じて横たわって

また起きられたらいいけれど

わからないから手を繋いで


誰も住まない団地のベランダ

洗濯物がはためいています

電車は律儀に基地へと帰り

最後の水で洗われました

わたくしたちがつくったもの

愛したもの

のこしたかったもの

かいた地図


わたしにだけ朝が来てしまったらどうしよう

土から這い出て、真っ暗闇に

弱った手足でベランダへよじ登り

誰かのバスタオルで体をつつんで

裸足にキャベツ畑の土を踏む

確かな冷たさを指先に見つけ

外葉の夜露に喉を鳴らして


ひと息ついて思うでしょうか

とても、とても静かだと

その日を思ってわたしはさびしいのです

眠りにつく前からはやくも

まぶたを夜露が濡らすほど

断片